最高級鰹節「本枯節」製造・販売の坂井商店

全国鰹節類品評会最高賞「農林水産大臣賞」連続受賞(有)坂井商店製造の最高級鰹節「本枯節」

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鰹節誕生秘話-指宿市山川鰹節の歴史-

鰹節誕生秘話-指宿市山川鰹節の歴史-


-指宿市山川鰹節の歴史-鰹節誕生秘話

かつお節の歴史

鰹節の歴史延宝2年(1674年)、紀伊の国(現在の和歌山県)熊之浦の漁師甚太郎が、土佐西之崎で鰹の大漁をして、宇佐浦で節をつくったのが、かつお節の起源と言われている。
当初は、煮てワラ火で乾かしていたが、甚太郎は薪を焚いて、煙で燻して乾かした。これが今日の製法と同じであるので、かつお節の始まりとされている。
出来たものは黒く硬く、食べられそうな物ではなかったという。
薩摩節の歴史について、坊泊水産誌に、県水産技手 相沢氏は、「薩摩節の紀元」と題した書記を載せている。
「薩摩節の紀元は、記録の徴するべきものなく、知るを得ざれども、屋久島のある古老の言に依れば、亨保(1717年)以前において、加世田の漁民七島(トカラ列島)に出漁し、ある時、鰹を与えたるに、この老人熟煮して食し、その残部は、これを燻し居るを見、何故になすかを尋ねたる所、如斯く常に食用に貯蔵せるものなりと。」(中略)
彼らはこれを買って内地に送り、かつお節が世に知られるようになり、需要が増して来た。加世田の漁師が七島で初めて燻乾のかつお節を知り、一方七島では次に述べるように、古くから燻した節を保存していることから、甚太郎の節より、薩摩節の方が古いのではとも言われている。

指宿市山川鰹節の歴史

山川は鰹が豊富鹿児島県、薩摩半島の最南端に位置する指宿市山川は、琉球貿易や遠洋漁業の基地として栄えてきた山川港を中心に鰹の町として知られています。
明治42年、伊予のかつお節製造業者が山川の納屋を借りて土佐節をつくり、その製法を習得して始められたのが山川かつお節です。

以降、かつお漁船の入港が増し、かつお節製造業者も増えて、かつお節の製造が盛んに行われるようになりました。現在、指宿市の基幹産業として全国のかつお節製造量の約3割(年間:約1万トン)を製造するまでになっています。生産額は年間約100億円に達します。特に本枯節の生産量は全国の約7割を占めます。

静岡県焼津や高知県土佐清水市などと比べ、後発である鹿児島県山川のかつお節生産量が急速に伸びた要因としては、先進地から技術員を招聘して「山川かつお節製造伝習所」を開設し、型や質を改善・品評会を開催するなど、品質の向上を図ったことがある。その後も製造技術の向上と後継者育成を目的に昭和23年4月に山川町立水産加工授産所(旧山川町)を開設。約20年間で450名以上の修了生を輩出している。

伝統と歴史

現在も昔ながらの伝統製法により、製造される

当社も昭和25年に坂井 牛松(初代)が鰹節製造を始め、二代目 坂井 良深が伝統を引き継ぎ、現在は三代目 坂井 弘明へと受け継がれている。

4年に1回行われる「全国鰹節類品評会」において、第18回・第19回と二大会連続して、最高賞「農林水産大臣賞」を受賞することが出来ている。

 

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